鉄彫刻 前野悦子 ホームページ
Posted by 前野 悦子 (まえの えつこ) - 2008.09.25,Thu
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スタンドランプ
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「雨泥む花(あめなずむばな)」
“泥む”とは~障害があって先に進めない状態~とあります。
日が落ちそうでなかなか落ちないのが“暮れ泥む”なら、
雨が降りそうでなかなか降らないのが“雨泥む”といってもいいのではないか
と思い作ってみた言葉です。
家の庭の小さな睡蓮鉢には、毎年睡蓮の花が美しい姿を見せてくれます。
でも、毎年蕾をつけるのは梅雨時。
一年待ってやっと蕾を作っても、晴れないと蕾は開いてれません。
睡蓮の蕾は長い間晴れ間を待ち、その時が来ないとやがて蕾のまま
静かに水に沈んでいきます。
そんな睡蓮に晴れ間が訪れると、朝に開いて昼に満開となり、午後には
花びらをたたんで夜を凌ぎます。
そうして睡蓮は一年に一度三日顔を見せて沈んでいきます。
だからせめて蕾のまま沈まぬように“雨よしばらく降らないで”と願いを込めて
「雨泥む花」と名づけました。
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「容映し(かほうつし)」
昔“姿”の事を“容(かほ)”と呼んでいたそうです。
そこから“顔”という言葉が出来たのなら、もともと日本人は人の姿を
“佇まい”で見ていたのかもしれないと思いました。
人の“佇まい”にその人の生きてきた姿勢も思想も全てが滲み出るのなら
最後にカタチとなって現れるのが“顔”ということになります。
なら、毎日見る鏡にもまた、その日の心象や生きる姿勢、そしてこれまで
培った経験、思想も全てを自身で映し見ている。
そう思えて名づけた作品です。
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花(W12XD12XH7) 手(W15XD13XH8)
「咲く掌(さくたなごころ)」
“掌”とはもともと手のひら“手の心”だったそうですね。
手のひらを広げて見える“手の心”に美しい花が咲いていたらステキだな。
そう思って作った作品です。
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